世界に誇れる村に…

2016/03/10

飯舘中学校計画的避難説明(質疑)

震災一月後の4・11の出来事を記憶している人はいるだろうか。
東京電力福島第一原子力発電所は1971年3月、営業運転を開始している。稼働以来、丸40年間にわたって国、東京電力は原発がメルトダウンを起こし、放射線汚染物質をまき散らす危険を想定せず、危機管理を怠ってきた。
豊かな森に囲まれ、水に恵まれ、国の原子力政策と無縁だったはずの飯舘村は2011年4月11日、「広報 号外第4号」(下線の部分)を発行し、全村避難の準備を始めていく。


4月11日、午後の枝野官房長官の記者会見中、飯舘村を「計画的避難区域」に指定したいと考えている内容の発言がありました。
「計画的避難区域」とは、半年、1年と長く住み続けた場合に積算の放射線量がさらに高水準になる恐れがある区域のことです。
区域設定の条件は、(1)局所的に放射線量が高い地域で(2)1年間の積算放射線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある区域です。

村は村内全域がこの「計画的避難区域」に指定される見込みです。

この積算放射線量20ミリシーベルトという値は、国際原子力機関(IAEA)と国際放射線防護委員会(ICRP)の緊急時被ばく状況における基準値をもとに設定されています。

「計画的避難区域」の住民は、おおよそ1ヵ月くらいの期間で別の場所に計画的に避難することが望まれます。
村では、村民の皆さんの生命と健康を第1に考え、どのような形で避難することが皆さんの負担を少なくすることができるのかを考えながら国、県と交渉を進めていきます。


4・11は、 国民の生命、財産を守るべき国が原子力災害に対する「無防備国家」を公に認めた日であり、小さな村の村民にとっては、終わりの見えない逃避行を宣告される日なのです。
今回配信する「今昔物語」は、飯舘中学校で行われた避難説明会の様子を記録した映像です。行政の責任者として懸命に説明する菅野村長の様子、疑念を問いかける村民の様子。会場にいた村民の一人が発言します。
「長崎、広島が今、栄えているように、若い人たちがこの村に帰ってきたときに、世界に誇れる村になっていてほしい」